アメリカで指摘された日本のゴスペルの不思議についてお話させて頂きます。
僕は2013年の夏にニューヨークに滞在しており、
その間ブルックリンにある黒人とヒスパニックの教会に通っていたのですが、
そこで仲良くなった友達から、
日本のことを色々聞かれました。
まぁ一番は日本のマンガと車の質問が多かったですね…
教会の周辺にはアジア系の人が全くいないような地域だったので、
みんな興味津々といった感じでした。
ちなみにみんなが日本に行って1番見てみたいものは、
立体駐車場だそうです(笑)アメリカにはありませんからね。
その中でもちろん日本の教会などについても聞かれた訳ですが、
質問に答える中で一番驚かれたものが
「日本にはゴスペルのスクールがある」ということでした。
「ゴスペルを音楽だけで捉えてスクールで学ぶ」ということがみんなには不思議だったようです。
でももちろん批判的とかではなかったですよ、
「東洋の神秘…!」みたいな見方だったかな(笑)
僕は滞在中に週3回くらいのペースで教会に通っていましたが、
通ってみるとキリスト教と彼らの生活が非常に密接な関係を持っていることに気づきます。
そしてその生活の中の一部に、
「ゴスペルを歌う」ということが存在しており、
つまり彼らはゴスペルを「音楽」として捉えていないんですね。
僕は加えて教会の友達に「じゃあ君にとってゴスペルって何?」と聞きました。
その時友達は「生活だ(Life)」と答えてくれました。
つまり僕なりに言えば、
「歌がうまく歌えるかどうか」よりも
「いかに自分の生活とゴスペルを繋げて、自分の生活を豊かにできるか」
がゴスペルの神髄にはある、
という見方もできると思います。
たった単語一つの返答でしたが、
僕にとっては今も強く印象に残っている会話でした。
一見難しく聞こえるかもしれませんが、
ゴスペル=音楽 ではなく、
ゴスペル=生活
という見方もできるということです。
(写真:Kirk Franklin の歌詞には、
日々の生活へのメッセージが沢山あります)